とある英語教員の備忘録

ときに覚書、ときに英語を教えておられる先生方への相談、ときに英語を勉強する中学生や高校生へのメッセージを書いていきます。 精一杯勉強し、記事を書いてまいりますが、思わぬ誤謬を犯すこともあるかもしれません。お気づきになられましたら、ぜひともご叱正を頂きたく存じます。

『体育の授業に大切な3つの力』

これからの英語の授業を考えていく上で、

他の教科で最も参考になるのは、体育だと思っています。

 

英語の授業は、体育の授業と通ずるものが多い。

①実技科目であること

②一人一人の生徒が自分のレベルにあった目標を設定する教科であること

③仲間と助け合いながら成長する教科であること

 

そこで、体育の指導論について書かれている本書『体育の授業に大切な3つの力』(東洋館出版社)を読みました。

①子どもの活動・運動を見取る力

②伝え、理解させる力

③教材化する力

この3つについて、具体的な指導事例や、その指導的ニックの裏にある本質について、非常に丁寧に解説されています。

 

頭で理解したことを意識しながら何度も練習を繰り返す中でできるようになっていく子がほとんどです。その意味では、体育は、「わかる」と「できる」が遠い教科とも言えます。(p.17)

 

体育でも、宣言的知識と手続き的知識への意識がこれほどまで強く意識されていることは知りませんでした。

英語の授業では、Presentation→Practice→Productionの流れの中で、

宣言的知識を手続き的知識に変えていこうという試みをする先生方は多くおられます。

(ただ、実際に手続き的知識の獲得には、膨大な量の練習が必要で、50分×週4回の授業ではとても足りるようには思えませんが...。)

 

体育の授業では、「できない」を「できる」ようにするためには、

まず実践から入り、できない原因を分析し、成功のコツを意識しながら練習を繰り返す。という流れをとるようです。

その点は、ESL環境での英語指導に取り入れられているForcu on Formに似たものがあるように感じられましたが、

失敗した後の練習の徹底などは、英語の授業の中でもどんどん取り入れていきたいものです。

 

「じゃあA君と平川君(教師)がでんぐりがえしをします。手の後、頭のどの辺にマットをつくかよく見ていてね」と指示します。A君が成功例、教師が失敗例です。(p.40)

 

この発想は全くありませんでした。英語の授業では、教員が失敗例のモデルになって、成功例の生徒と比較分析をさせるということを行っている実践例を見たことがありません。

汚れ役は教師が買って出て、成功モデルを提示する役を生徒に任せる、というクラスであれば、子供たちの自己肯定感は間違いなく高まるでしょう。

 

 

先生や友だちの話は、目と耳とへそで聞く(中略)体育授業の場合は、話す相手に「へそ」を向けることで、相手によりつよく「聞いてますよ」というメッセージを送ることと、意識を集中することができるのです(pp.88-89)

 

英語の入試改革では、スピーキングテストが入ってくることが大変注目されており、

英語の授業の中でも、スピーキングをどうするのか、教員間でも多くの議論がなされているように思います。

「よい話し手(good speakers)」を育成しようとする一方で、忘れてはならないのが、「よい聞き手(good listeners)」を育てることだと思います。

「よい聞き手」の存在が、「よい話し手」を育てる鍵となる...。

よい聞き手を育てるためには、毎回のスピーチなどの際に、

聞き手にも明確な役割を与えることが重要だと思いますが、

上記のように、へそを向けることを「聞いていますよ」というサインとして使うよう、

クラスルールを設定することは有効なのかもしれません。

 

 

できそう→できた→できそう…の繰り返し(pp.185)

 

教師が指導案を作り、単元目標と銘打ってその目標を達成させようと前のめりになってしまうと、

一人一人の習得レベルに応じた目標設定という、本来大切にしなければならない視点を見失ってしまいそうです。

「できそう」という感覚が生徒の行動を引き出してくれるのであれば、目標は生徒が自分で決めるのがよいでしょう。

 

英語では、CAN-DOの形で、「(英語を使って)○○ができる」という「英語を道具として使う」ことをゴールに設定することを良しとする傾向があります。

「be動詞を使って文を書くことができる」という目標の立てれば、「それは違う」という声も...。

言い分は、「be動詞の使用は、自己紹介など具体的なコミュニケーションを行うための手段である。つまり、手段が目的になってしまっている」ということなのだと思います。

ただ、手段の獲得は目的達成のために必要なプロセスであり、それ自体が目的になってもよいのではないでしょうか。

 

「be動詞を使った文を、30秒以内に⚪︎個言える(○の中の数字は生徒が自分で決める)」などの形の目標は、生徒が自分で設定する上で非常にシンプルだと思います。

「英語を使って○○ができる」という目標を設定する場合は、

その目標を達成するために必要な手段(文法)が何かを考えなければなりません。

 

(たとえば)be動詞を身につけたから、「(be動詞を使って)○○ができる」のように、

コミュニケーションの場面へと展開していく可能性を模索していく。

 

生徒にとってより身近なもの、自分のものとして感じられる目標はどうあるべきか、

再考の余地があるように感じます。